映画の理想郷を求めて生きるー映画は死に体だ。そこに踏みとどまって地に落ちるか、それとも新しい世界へ疾走するか生き方が問われる

2019年5月28日

シネラヴィとは私が考えた映画を愛する人の、映画を愛する人による、映画を愛する人のための理想郷です。

日本映画には人材を活かせる場所がない

現在の日本において映画のために全てをなげうつだけの環境がそもそもありません。

もちろん映画を銘打つ学校や大学があるかもしれません。

しかし、映画を常時制作するスタジオがない状況ではいくら人材を育成しても意味がありません。

門をくぐる若手の人材の身になってみても未来が約束されていない以上モチベーションを維持することは難しいでしょう。

日本には映画を作る才能はたくさんいます。その気になればハリウッドに匹敵する聖地を作る可能性は大いにあるでしょう。

しかし日本映画が衰退を余儀なくされたのはゴール地点を見誤ったのと、産業構造の欠陥にあります。

映画だけで完結した世界を創造する

こうした社会状況のなかで、私はあえて純粋に映画だけを追求する環境を作ろうと思いました。

寝ても覚めても映画三昧な人生を過ごしたいからです。現状なければ自分で作ろうという発想です。

19世紀末に発明された映画芸術は人類史上最大で最高の芸術だと思います。しかし、現状は日本映画はほぼ死に体な状況です。

たしかに日本映画は今日も制作されてはいます。でもそれは構造的な面から言えば映画であって映画ではない、映画のようなもの、です。

いや今ほど映画が見られていることはかつてなかったと詭弁をいう言説もあります。

つまりビデオで映像で見ることができる現代では多くのひとが映画館ではなくて、映画を映像機器で見ています。

しかし、映画という芸術は映画館の暗闇の中で不特定多数の人々とその時間と空間を共有することで完結するのです。

スマホで見る映画は映画と呼べず、他のテレビドラマと同じです。そういう意味で、コンテンツの一つです。

とはいうものの、私はこうした時代を批判しているわけではありません。

自分の好きな映画を所有したいというのは誰しも持つ夢です。それが実現できるのだから素晴らしいです。

ただ、あらゆる芸術が画一化の流れになってきていることに対して警鐘を鳴らしているだけなのです。

デジタル社会は画一化の方向に舵を切っていますが、これは間違った流れです。

スマホで映画を見られる環境は素晴らしいと思います。

しかし、映画は映画館で見ることが本来的な姿であることを考えるといびつな環境です。

そうではなくてやはり映画は映画館で見ることを追求することこそが本意であるとの認識がなければいけません。

多様化の時代は映画の黄金期となる

デジタル社会とは画一化のトレンドを作るのではなくて、オリジナルの多様化を目指すべきだと考えます。

なぜ画一化になっているかといえば構造のねじれが原因です。つまり無駄なところにお金が流れる仕組みになっているということです。

デジタル化でコストが効率化した分はオリジナルを進化させるために投下させる必要があるわけです。

オリジナルを進化させるとはリソースつまり資源を豊かにする施策が求められるのです。

芸術をクリエイトする人々は豊かでなければいけません。豊かであるからこそ豊かな発想が生まれるわけです。

映画の理想郷とは映画で豊かになろうというメッセージでもあるのです。

映画を心より愛するあなたの応援こそ世界を変える源泉となるのです。

よろしくお願いします。

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Posted by cinelavie