公なる精神について

「和」。

この言葉を辞書で調べてみると。

1 仲よくすること。互いに相手を大切にし、協力し合う関係にあること。
2 仲直りすること。争いをやめること。
3 調和のとれていること。
4 ある数や式に他の数や式を加えて得られた結果の数や式。
(デジタル大辞泉より)

とあります。

「和」の由来はもちろん聖徳太子の時代に遡ります。

「和を以て貴しとなす」
(十七条憲法第一条より)

調和をとるということはみんなと仲良くすることだという認識でおられる人も多いと思います。

どうでしょうか?

でもきっとこの考え方が日本という国を誤らせたのだと思います。

ほんとはこうだと思うのだけど
相手に嫌われたくないから黙っておこう。

とか

日本人を支配しているのはこうした「空気」なのですよね。

議論しない前から決まっているみたいな。

政治の世界にも初めから予定調和で決まっている。

嫌われたくない。

批判されたくない。

注目されたくない。

みたいな。

これをどうも「和」と勘違いしているふうがないでしょうか。

仲良くするという意味ではなくて、

互いの意見を率直に出し合い、互いの意見を尊重し合い、そして正しい道理に則った結論を導き出す

ということだと思います。

日本人はとかく「個人主義」を勝手に生きることだと誤解しやすい習性があります。

全体主義の反動かもしれませんが。

しかも批判されないように勝手に生きる。

重要なのは「公」の精神なのです。

日本人の向かうべき道筋だと捉えています。

こうした精神の欠如したかつての軍国主義は当然敗北しました。

日本人の生存を脅かす「負けるとわかっていた」戦争に突入したからです。

しかも「空気」の理屈で。

かつて伊藤博文は「韓国併合」に反対していました。

このように言うべき時は言うという勇気がかつての誇り高き日本人にはありました。

残念ながら伊藤博文は朝鮮の人に暗殺され、「韓国併合」が加速するのですが。

日本はこうした「公」の精神が充満するお国だったと思います。

武士道とはそういうものだと思います。

日本人は今こそ目覚めるべき時だと思います。

こうした「空気」が日本を破滅戦争へ駆り立てた事実を。

お国のために死ぬ、という「公」の精神を悪用された戦前の日本人。

もう依存する必要はないのです。

政治が絶対でもない。

官僚が絶対ではない。

マスコミが絶対なわけない。

真実を見る眼を養ってください。

外にあるものではありません。

真実とはあなた自身のこころの中にあるものです。

こころの眼で世界を見てください。

日本という美しい国をその眼で眺めてみてください。

1945年に敗戦して日本国が目指したのは資本主義とは名ばかりの実は社会主義に他なりません。

よく言われている通り、日本は世界で一番社会主義が成功した国です。

半ば嘘、半ば本気。

統制社会。

自由であって、自由ではない。

今もなおあなたの「公」の精神は悪用されていることに気づいてください。

社会の束縛から自由になり、美しい日本のために生きていく覚悟。

聖徳太子は「派閥」を作るなと戒めています。「なごやか」に生きろと。

1300年の時を超えて、ようやく聖徳太子の理想に時代が追いついてきたのではないでしょうか。

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