科学技術の呪縛は映画を堕落させる

映画の堕落は物質文明の末路を象徴し、映画の精神を取り戻すことはわたしたちの魂を目覚めさせることにつながる、、、

映画はその誕生以来科学技術の進歩からは無縁ではありえませんでした。というよりもその進歩の影響下にありました。

モノクロからカラー、サイレントからトーキー、スタンダードからワイド、そしてフィルムからデジタル。映画芸術が選択したのではありません。

科学技術によって映画芸術のフォルムは常に決定されてきた経緯があります。映画芸術の歴史はフォルムの変遷といってもいいでしょう。

たとえばスタジオ撮影からロケーション撮影への変化。単独館公開からシネマ・コンプレックス公開への変化。これらも広義の意味でのフォルムの変遷といえると思います。

最近ではデジタル撮影におけるCG映画というもの、そして映像配信技術も含みます。どんどん映画の外的環境は変化を遂げていっています。

これらは映画製作費の高騰に悩む映画会社の収益力をつけたいという思惑と合致し、ますます加速していっています。

しかし映画は芸術です。当然、科学技術がすべてではありません。その内容こそが重要です。

過去100年の日本映画をみてみた場合に芸術表現は進歩したのでしょうか?

科学技術のように芸術表現も新しい展開があるのでしょうか?

映画に限らず、芸術というものは作家の魂の表現形態であります。まず表現ありきです。しかし現代の映画はまずビジネスのことばかりを追求してはいないでしょうか?

たしかにビジネスは重要です。

ビジネスのことを考えずともお客が入った時代は終わりました。だからビジネスになるための方策を立てねばならないことはわかります。

しかし今が良ければすべてよしのやり方で対応していたのでは長期的に見れば問題を先送りしているだけです。これではドラッグを打ち続けているようなものです。

このままでは日本映画の体力はもちません。いずれ消耗してしまいかねません。体力を回復させるための処方箋を考えなければいけません。

重要なことは科学技術にひっぱられてきた映画の羅針盤を芸術表現へと切り替えることを早急にすべきです。そのための芽を植えて育てていかなければいけない。

日本映画は決してデジタルテレビの低価格消耗戦のような事態にまきこまれてはいけません。早く世の趨勢であるデジタルコンテンツの誘惑を断ち切る勇気が必要なのです。

デジタルコンテンツとしての映画は将来的にキラーコンテンツとして有望であるからこそさまざまな取り組みがなされています。たしかに世の中の動向をトレンドとして受け入れることは大切ではあります。

しかし間違ってはならないのはなぜ映画業界以外の異業種企業が映画に触手を伸ばすのかということを考えておいた方がいいのです。彼らは映画という資産を利用したいだけなのですよね。

映画を映画館でみる行為は、みるという行為以上の感動を体験する付加価値商品であると言えます。

わたしたちは映画館でみた映画作品そのものよりも、その時誰と行ったのかとか、劇場の雰囲気とかの方が鮮明に記憶に残っていたりします。

またその印象が映画作品の記憶を増幅していくものですよね。そういった体験こそが映画館で映画をみるという素晴らしさなのだと思います。

しかしデジタルコンテンツとしての映画は個人所有のモニターで見るということを前提としている。DVDにしてもインターネット配信にしてもそうですよね。個人でも簡単に見ることができる汎用商品に仕立て上げようとしているのだとしか思えません。

「風と共に去りぬ」が500円で所有できるなんて異常としか思えない。映画の価値って一体何?と思ってしまいます。

なのに映画界はその趨勢に積極的に加担しようとしているのです。

わたしが映画業界のビジョンがみえないと思うのはそういうところです。デジタルコンテンツというトレンドに乗っかっているだけのようにしか見えないのです。

もっと大局的立場にたって、日本映画はこうするのだという道筋を考えださなければいけません。でなければ日本映画はいずれ衰退します。

日本映画に必要なのはアナログの思考なのです。人間の目でモノを見る感性と言い換えてもいいかもしれません。その思考が非常ににぶくなってきている。

これはたぶん商業主義の悪い部分が現れてきているのだと思います。非常に悪い形で。

そして本当に悪いことには、現代の映画作家の個人的で表現方法に新しさを求めない思考が、個人のモニターで視聴されるデジタルコンテンツの特性にうまい具合にリンクしているということです。

みんなの欲望が同じ方向を向いている。だから誰も疑問には思わないのです。

だとすればどうしようもないことなのでしょうか?

しかし映画は時代のトレンドを先取りする力を持っているはずなのです。

たとえばこの時代豊かになりすぎたから描くものがないというのは言い訳にしか過ぎない。

もしそうした考え方をもっている人がいるのならば、映画界から退出してほしいと思います。

映画は時代を切り開く芸術だと思います。いやそうあってほしいのです。映画作家もそれくらいの意識でいてほしい。自分だけの殻に閉じこもるのではなく。

極論ですが、個人的なものを描きたいのならばビデオで撮って無料で公開したらいいと思います。もっと社会と闘ってほしい、その対価として入場料金を頂くのだというくらいの気構えであってほしいと思います。

そうした映画作家の情熱が観客のこころを惹きつけるのではないのでしょうか。そうしてビジネスとしても成功するはずです。こうした映画作家たちの情熱が明日の日本映画を作っていく。

映画は科学技術からの呪縛から逃れて、芸術表現を取り戻さなければなりません。

この時代にも存在する稀有な才能を時代に埋もれさせないようにしなければいけなのです。

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