ゾンビにならぬよう檻から脱出しなきゃ。

では本日は「権力」について考えてみたいと思います。
現在では「社会主義」とか「共産主義」とかは もはや時流ではない・・・
というのは一般常識ではありますが、 かといって「資本主義」もいいというわけではない。
戦後の日本は「教育」や「年金」など 国民が平等に受けられるようなシステムを作り上げました。
このシステム、一見すると素晴らしいのです。
けれどもこれは日本の官僚制を成立させる歯車として 機能してきたはずです。
さらにいうなれば 国家が国民を統制するための仕組みであったというわけです。
なぜならば少なくともこれらの二つは 国民の活力をそぎ落とすことにつながっているからです。
よく考えてみてください。
私たちは「教育」で人間が生きていく上での術を 教わったことがあったでしょうか?
私たちは老後は年金生活だから今のうちに頑張っておこうと 安定志向を目指してはいなかったでしょうか?
いつの間にか私たちは檻の中が世界の全てだと考えるようになったのです。
その狭い檻の中にほとんどの日本人が強制収容されて競争している構図。
そしてそれを国家が統制する。
自由主義だとか民主主義だとか喧伝されますが、これが実態です。
成功者はこの檻の外で生きているからこそ成功したのです。
また落ちこぼれた人のほうが「洗脳」されていませんから、 成功する確率が高いという逆説。
これが「権力」というものの怖さです。
人間の歴史とは権力闘争であると言ってもいいでしょう。
また「権力」があるからこそ素晴らしい芸術も生まれた。
映画とは反権力の急先鋒であったのです。
かつての映画は時代のトレンドであり、羅針盤でもありました。
それはもちろん内容もそうですが、表現もしかりです。
世の中に迎合することなく時代と対峙してきたのです。
つまり権力に依存するとは映画に死をもたらすということです。
1970年頃にメジャー2社が倒産した映画産業は その後一大方針の転換をしました。
あれほど嫌っていたはずの放送産業と手を結ぶ決断をするのです。
これは悪魔に魂を売ったも同然の所作でした。結果として。
別に私はテレビを嫌いというわけではないですよ。
どちらかといえば大好きです^^それとこれとは別問題です。
放送業界の資本が映画に流入することの危惧ではなくて 映画ビジネスがフロントエンドの商品に成り下がったことが問題なのです。
つまり現在の映画は一部を除きテレビ放送やDVD、 さらにはケーブル放送、ネット配信を前提として製作されています。
収益を稼ぐためです。
初めから映画には縛りがあるのです。
表現したくてもできない。
現在の映画産業で従事している人は誰もが考えていることだと思います。
最近はテレビ出身の制作者も多いので そんなストレスもないのかもしれませんが。
みんな「大人」にならなければ駄目だと思っているわけです。
本当にこのビジネスモデルで良かったのかどうか。
映画は単なるデジタルコンテンツのための「歯車」として 動かされているだけに過ぎないことを理解すべきだと思います。
現在では溝口健二みたいな人が出てくるような土壌ではないわけです。
「残菊物語」の延々長回しなんてありえない。 人の顔もわからないようなロングショットなんかもありえない。 ありえない尽くし、です。
でも、です。それが映画芸術の本懐なのです。魂なのです。
魂を売った亡骸はゾンビです。
こうした現状に早く気づくべきです。
とにもかくにも権力から「自由」になることから始めてみましょう。
あなたの周囲はどうですか?あなたの業界はどうでしょう?
何か行く手を阻んでいることはないですか?
そうしたところから意外とビジネスのネタは浮かんでくるものです。

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