コロナ禍、好きなことをして生きていく。

コロナ禍は日本人のアイデンティティを揺さぶった。
かつて1980年代には映画が、90年代では音楽が、日本人の魂を高密度に体現したが、2000年以降は日本人のアイデンティティは喪失いや沈黙していた。
そうした状況にある日本をコロナ禍は襲ったのだった。
あなたの居場所はいったいどこにあるのか。根源的な選択を迫られた時代となった。
あなたは自分らしく生きる勇気があるだろうか。
資本主義社会は個人を自立いや孤立させようとしている時あなたは覚悟できるだろうか。あなた自身を愛するということができるだろうか。
自分を愛せない者が他人を愛せるはずもない。
であるならばますます孤立し孤独へと突き進むしかないではないか。
喪われた時代と言うのはやめてみよう。いまこの時から一歩を踏み出してみよう。
資本主義社会はあなたが現状維持してほしいのだ。あなたからありとあらゆるものを搾取したいからだ。
世界は待っていてくれている。あなたが覚悟して生きるのを。あなたがいまここでこの文章に出逢ったのは奇跡なのである。
もう言い訳するのもやめてみよう。いまここからあなたが好きなように生きてみよう。
あなたは映画で生きていきたいと思ったことはあるだろう。
しかし資本主義社会では好きなことを頑張れば頑張るほど泥沼にはまっていくことになる。なぜならそういう仕組みになっているからである。好きの搾取である。
好きであることを利用して搾取しているという構図である。
資本主義社会においては映画をつくりたいものは想いのみいき続け、物質的に豊かになることはない。映画の産業構造がそういうふうにできているからである。
日本人には清貧という美しいとされる観念があるが、これも好きの搾取が前提となっている。社会システム上清貧という言葉が機能しているわけだ。なぜなら上層階級にとって都合がいいからに他ならない。
映画クリエイターは物質的に豊かにならなければいけない。圧倒的に価値のある映画クリエイターは精神的にも物質的にも豊かでなければ健全ではないのだ。
さてあなたはここでこの文章から離れて現状維持な世界に戻ることもできる。また以下のボタンを押して、私と一緒に、精神的にも物質的にも豊かな映画クリエイターの道を選択することができる。あなたの自由だ。私の言っている映画クリエイターとは映画とともに生きていくライフスタイルである。たった一度きりの人生だもの。好きなように生きてみよう。では心よりお待ちしています。

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