人類芸術補完計画とは

現代人は太古の昔よりつい最近までと比べると大きなストレスを抱えて生きています。
かつては自然の驚異との闘いだったわけですが、
現在はどうでしょうか。
見えざる敵と闘っているといってもいいのではないかと思うほど
私たちは常に不安にさらされています。
かつては自給自足で常に自己完結な生活を送っていたのです。
もちろん自然の驚異はあったにしてもある程度の想定内で日々生きてきた。
しかし、現代人はそうした自然の驚異というわけではないけれども
人工の不安とでもいえるものを感じていきているのです。
それは生活を脅かされる恐怖であるかもしれません。
または将来の世界がどうなるかわからないといった不安かもしれない。
そうした見えざる不安によって現代人はストレスマックスで生きています。
シンプルな生活を送っていた時代は食べること、寝ること、セックスすることが、そのまま満足だったし、それ以上を望むことはなかったに違いありません。
しかし複雑多岐な現代であっては、おなかがいっぱいでも、たくさん寝ても、悲しいかな、セックスしたとしても充足した快感を得ることが難しくなってきているのです。
なぜなら世界があまりに複雑だから。新しいものが次々とやってくるから、常に欠乏感が増えるばかりです。
どこに目的地があるのかもわからない。
たとえば携帯が5Gになるとか、6Gになるとか、じゃあいったいどこまでいけばいいのという不安感に囚われるでしょう。今でも充分じゃないか。
たしかに『バックツゥーザフューチャー』の世界のようになれたら面白いのかもしれません。
しかしそのような世界は所詮おとぎ話としては面白いけれども現実としてそんな世界を望んでいるのでしょうか。疑問ですよね。
かつてのSONYのウォークマンが世界のトレンドとなった時はわくわくするような夢がありました。
しかし現在のアップルやアマゾンを象徴とする世界観は私たちの想像をはるかに超えたところに照準を合わせているようで恐怖すら感じてしまいます。
もういいのでは、と考えるのです。
科学の進化はとりあえずペースダウンでいいよ、とね。
人間は生まれたまんまでは絶対幸福にはなれません。
なぜなら実感がないからです。
人間は宇宙という生命体の一部でもあります。
そうした世界観を理解できないひともいるかもしれません。
しかし、もし幸福感がないとしたら、それはもったいないことです。
人間は絶対幸福になるために生まれてきたからです。
現代人が絶対幸福になれていないとしたら、
それは科学を妄信し人間のこころを置き去りにしてきたからに他なりません。
科学はたしかに人間の生活を便利にするツールではあるけれども、
絶対幸福を生み出す源泉にはなりません。
日本人は古来農耕を主とする民族でもありました。
自然と調和し、大事に大事に大地とともに生きてきました。
日本人が農耕から商業主義へと移り変わることによって
こころを喪失したとはいえないでしょうか。
資本主義社会は科学の進歩を最優先にしてここまでやってきたわけです。
日本人は農耕民族ではありますが、それ以上に日本人自身が芸術品であると私は考えています。
美しいもの、醜いもの、をひっくるめて芸術品です。
農耕民族たる日本人は歴史を見渡しても芸術民族といってもいいポテンシャルを持っている思う。
1945年以降日本人は経済至上主義で突っ走ってきたわけですが、現在失われた10年といわれるくらいに失速してしまったのはゆえないことはありません。
日本人には合わないのです。
SONYやトヨタが牽引した世界は「ものづくり」の時代でした。だから世界の頂点となった。
しかし今はどうでしょうか。
GAFAといわれる超メガコングリマリットたちが目指しているのは通信やインターネットという見えざる世界です。
日本人が苦手なところです。苦手は苦手で仕方ないです。
それよりも日本人には日本人のよいところを伸ばすべきでしょう。
それが『人類芸術補完計画』なのです。
日本人は生まれながらにしては人間にはならない、
芸術として磨き上げることによって芸術品となり、人間として絶対幸福を得るのです。
私は日本人総芸術家時代と名付けているのですが、
新型コロナウイルスの発生した2020年以降、日本人が幸福で裕福になる道は日本人として芸術家になることだと力説しているのです。
従来の生き方をしているとますます貧しくなっていくばかりです。

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